公益財団法人 日本腎臓財団
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設立目的

公益財団法人 日本腎臓財団(旧腎研究会)はこうして設立されました。 一民間人が腎疾患の実情を知って

昭和40年代半ば、当時プラスチック関係の業務に携わっていた高柳孟司氏は人工腎臓の開発を進めていましたが、医療関係者、厚生省などの関係官公庁、そして患者さんとの接触からその背景である腎疾患の実状を知るに及んで、本来の会社の業務とは別に、死に至るしかない腎不全についての勉強を始めました。腎疾患について、当時一般の知識はまだ低く、誰もがかかる可能性があるにもかかわらず、ひとたび腎疾患にかかれば多くは腎不全をひき起こすことのあることさえ、知る人は少なかったのです。

透析には保険適用もなく、多くの方々がお亡くなりに

腎不全ともなれば、一生透析を続けるか移植しか生きる道はありませんが、当時としては移植はまだまだ遠いものであり、また、透析といえどもまだ保険制度の適用がなく、巨額の費用負担が必要であり、たとえ負担できたとしても透析機器の不足、さらには技術スタッフの不足から透析を受けられずに多くの方々が亡くなっていくのが実状でした。高柳氏は性能の良い機器も大切だが、もっと根本的な点、腎疾患という重大な病気の知識を一般に広め、まず病気にかからないよう啓発することこそ大事なことではないかと考えるに至りました。それには専門家の協力のもとに、公的な団体を通して活動することが最も有効な方法と考え、寸暇を惜しんでその方法について研究し始めたのです。

政財界のそうそうたるメンバーのご賛同を得て

熟考を重ねて計画書を作成したものの一個人の力にはおのずと限界があり、最後の頼みの綱として当時東レ(株)会長であった安居喜造氏に相談したところ、氏は後年「社会の為にこんなにも無私になれる人が我が社の社員であることを誇りに思う」と語るほど、その計画案に感銘を受け、直ちに「財団法人設立の為の土台作りは私が責任を持つ」と協力を約束されたのです。後に経済団体連合会副会長にも就任された安居氏のご尽力により、政財界のそうそうたるメンバーから理事就任の快諾を得、さらには衆議院議員田川誠一氏のご協力のもとに高柳氏の奔走も効を奏し、当時としては申請から異例とも言えるスピードで「財団法人腎研究会」が設立されました。 初代会長には、自ら腎疾患のため若くして片腎摘出という大手術を受けられた東レ(株)田代茂樹名誉会長にご就任いただきました。

腎研究会設立、そして日本腎臓財団へ

一方、高柳氏は当時大阪大学医学部泌尿器科教授であった園田孝夫氏(のち名誉教授・当財団理事)、また東京大学医科学研究所の稲生綱政教授(当財団前理事長)に医学面の協力をお願いし、その後腎臓学の権威、大島研三先生(のち当財団名誉会長)が理事長をお引受け下さり、名実ともに充実した財団法人腎研究会の発足が実現しました。しかし、実際の設立者である高柳氏は表に立つことを避け、生涯事務局長として全身全霊を腎疾患の為に尽くし、昭和63年4月、腎研究会が立派に一人立ちしたのを見届けたかのように、67年の生涯を閉じたのでした。(平成13年 財団法人日本腎臓財団に名称変更、平成23年 公益財団法人 日本腎臓財団に名称変更)

 

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